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例文一覧

私が尊敬している人は徳川家康です。徳川家康を尊敬する理由は、彼の生き方にあります。彼は、三河の超弱小戦国大名に生まれたため、幼い頃から人質として片身の狭い日々を送りました。その中で、忍耐することの大切さを覚えました。そのため、彼の格言には、忍耐の重要性を説くものが多いです。彼は、忍耐を繰り返し、三河を統一し、最終的には征夷大将軍として江戸幕府を開設します。彼は、忍耐を繰り返し成功をつかんだ模範な生き方をした人であると思います。私は、彼から逆境の中で耐えることの大切さ、諦めない心の大切さを学びました。辛い状況の中でも必ず学びとることはあると思いますし、失敗しても次にいかせば良いと思いますので、最大限の努力をすることが必要です。私は、徳川家康のように、しぶとさや諦めない心、耐える心を一層磨きをかけ、仕事に活かしていきたいと思います。無理と言う言葉は封印し、出来るように努力したいと思います。(398文字)
私が最も尊敬する人は、少年野球時代の監督です。私は小学校2年の頃から野球を始めましたが、この監督に出会えたことは私の人生において大きな財産となっています。この監督は、野球の指導だけでなく、人間として恥ずかしくない生き方をするように日頃から厳しく指導してくださいました。耳にタコができるほどに言われていたことは、「親に感謝しなさい」ということでした。今野球ができているのはお前たちの親がお金を稼いできてくれて、そのお金でユニフォームやバット、グローブを買ってもらっているのだから、道具を大事にしなかったり、親に感謝しない人間は野球をする資格がないとよく言われていました。最も印象に残っているエピソードは、靴のかかとを踏んで歩いていた時に、道具を大事にしていないと本気で叱られ、その日は裸足で練習をさせられたことです。子どもであった当時は、理不尽に感じましたが、良い経験になりました。(390文字)
私が尊敬する人は、大学時代のボランティアで出会った聴覚に障がいを持っている学生です。私は、障がいを持っている学生が快適に学生生活を送るためのお手伝いをするボランティアをしていました。その中で、一人の学生にたくさんのことを教えられました。その人は、自分の障がいをハンディキャップとは捉えず、むしろ積極的に様々な活動に参加していました。聴覚が他の人より劣っていても、聞こえている部分の情報からしっかり周りの状況を把握していました。授業においても、補聴器をつけながらも、予習や復習をしっかりすることで、自分の聞こえてない部分をカバーしていたので成績が良かったです。また、音楽活動にも熱心に取り組んでいました。CDも聴くし、楽器の演奏も進んでしていました。私はその人から、周りからの憐憫を気にせず、自分の持つ能力を思い切り活かすということの素晴らしさを学び、自分の仕事意識に大きな影響を受けました。。(395文字)